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手紙

赤澤玉奈

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 偽物の大理石にはアンモナイトが埋まっていて、これ本物かな、と話すのが恒例になっていたエントランスの窓の桟では虫が死んでいました。千を超える部屋番号を持つけれど三階までしかない灰色の建物、騒音を注意する張り紙、駐輪場の椿は春には花ごと落ちました。
 最後の一枚になってしまいました。書き始めたはいいけれど、まだここに何を書こうか、はっきりと思い描けていません。
 今私は二十五歳を過ぎたところです。前回書いたときは高校生だったから、多くの出来事を書き損じてしまっているように思います。本当は二〇歳を節目にこのノートも終いにしようと考えていたのにずるずると書かずに置いておいたのは、最後のページを埋めてしまうとノートが吸い込んだ歴史ごと死んでしまうと思ったから。目入れしただるまがどこへ行ったか誰も知らないように、更地になる前の土の上が何だったかを思い出せなくなってしまうように、書き終えることで私からごっそり抜け落ちてしまうのを恐れたのです。過去の蓄積の最後に何かを言わんとする私の手は、一冊を構成する一枚一枚に擦り付けられた黒鉛に未記入のページへと向かう動きを重くして、または手持ち無沙汰に指周りの空気をかきまわします。

 小学生の頃マンションの一階下に住んでいる友達の家によく遊びに行っていて、そこでこの交換ノートは始まりました。たわいもない近況と、秘密の質問、空いたスペースに描いたキャラクターの絵。何度か交換をして彼女が引っ越してしまって、手元にページを余らせたノートだけが残ったときひどくつまらない気分にさせられたのを覚えています。最後に友達に宛てたページは自分以外に読まれることがなく適当に捨て置かれ、少し背の伸びた自分によって発見されました。薄く埃をかぶったノートに、ふと思いついて作法に則って名前と近況を書きこんでみて、拙く幼稚に見えた同じキャラクターの絵も描き直して満足し、また適当にしまい込みました。大晦日の大掃除で再度発見され、書き込まれたノートは次からは意図的に忘れそうな場所に隠されて、また見つけられるとこちらの現在に乗り上げてきて筆記具を握らせたので、掃除途中の部屋は思い出されるのを待つことになりました。
 見つけて、書き連ねて、見つけて、書き連ねて、を繰り返した自分との手紙のやりとりは、遡って読み返すたび住んでいたマンションを呼び出して私を壁の中に閉じ込めるのです。

 取り囲まれた寝室の白い壁は死んでしまった木肌のように爪で引っ掻くと皮を落とし、内樹皮を露出させます。剥がれないように手のひらでなぞって部屋を出ると少し視界が開けて、大きなテーブルを横目に廊下を進むと靴箱の上の人形と目が合います。出しっぱなしの靴、つま先を打つ音、鍵は持っていませんでした。灰色の壁の垂れた塗料は影が膨らんだまま固着され形を保っている。夜移動するときは誰かが壁の裏にいるんじゃないかと怖かった階段を降りていく、

 角の部分だけ乾いて薄くなった足下の塊、

 眼下の公園の茂みの中にボールは身を潜めています、

 手すりを動く赤い点は潰すと縦に伸びていく、

 ざらざらした壁の肌理は付着した塵の感触です、

 少しずつ姿を変える金髪の女学生、

 人中は折って開かれたときの名残です、

 繰り返されたあの人は都度死んで生き返ります、

 あなたをとめる杭に保証書はついていない、

 階段下にあるドアは自分が何であるかをノブを回されて知りました。

 インターネットの賃貸情報では壁と床だけになった過去住んでいた部屋の画像を見ることができる。書き連ねられ頭の中から出て行った事柄はまたこのノートを開くことで作り直され、長居することなく消えていくだろう。


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